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大谷翔平(おおたに・しょうへい)のプロフィール / Shohei Ohtani’s profile

【画像:エンゼルス公式インスタグラムより引用】

基本情報

大谷翔平(おおたに・しょうへい) Shohei Ohtani

生年月日 1994年7月5日(29歳)
身長 193センチ
体重 95キロ
投打 右投右打

生い立ち

1994年7月5日、岩手県水沢市(現在の奥州市)出身。父は元社会人野球の選手、母は元バトミントン選手。兄はトヨタ自動車東日本硬式野球部所属の大谷龍太。姉も一人いる。少年時代は野球のほか、バドミントンと水泳を習っていた。水沢リトル、一関リトルシニアで全国大会出場。

高校時代

高校は3歳上の菊池雄星に憧れ、地元・岩手の花巻東高校に進学。1年春から「4番・右翼手」で出場。秋には最速147キロのエースとなる。2年春に151キロを計測。センバツ初戦の帝京戦では4回途中から登板し、150キロをマーク。田中将大(駒大苫小牧)に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150 km/hを記録した。

翌年のセンバツでは大阪桐蔭と初戦で激突。相手エースの藤浪晋太郎からホームランを放つも、投手としては8回2/3を9失点(自責5)、11奪三振の一方で11四死球も与えて敗退となった。3年夏の岩手県大会準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる160キロを計測した。しかし、決勝の盛岡大附戦でも15奪三振と力投。しかし3ランを浴びるなど5失点を喫し、最後の夏は甲子園に出場できなかった。大谷不在の甲子園開会式で、奥島孝康高野連会長が「とりわけ残念なのは花巻東の大谷投手をこの甲子園で見られないこと」と発言。物議を呼んだ。

日本ハム時代

投打ともに注目されてプロ志望届を出した大谷だが、一時はMLB挑戦を表明。しかしその後のドラフト会議で日本ハムが単独1位指名し、栗山英樹監督らとの面談を重ね、最終的には日本ハム入団が決まる。前例のない二刀流の活躍がここから始まった。2013年の開幕戦に「8番・右翼」で球団の高卒新人としては張本勲以来、54年ぶりとなる開幕スタメン出場を果たした。5月にはヤクルト戦でプロ初登板。157キロを投げて驚きを呼び、6月1日の中日戦でプロ初勝利を挙げた。1年目は投手で13試合に登板。3勝0敗、防御率4.23を記録。野手では77試合に出場し、打率.238、3本塁打、20打点だった。

2014年、投手としては24登板で11勝4敗、防御率2.61。打者としては86試合で、打率.274、10本塁打、31打点をマークした。同一シーズンで2ケタ勝利&2ケタ奪三振を記録するのはNPB史上初。最速162キロをマークして日本人最速となった。翌2015年は投手として15勝、防御率2.24、勝率.750で最多勝利、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を達成。打者としては打率.202、5本塁打、17打点と低迷した。

2016年、大谷はNPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成。7月3日、ソフトバンク戦(ヤフオク)では自身初となる1番・投手として先発。最初の打席で初球先頭打者本塁打を放ち、投手としては8回10奪三振で8勝目を挙げる大活躍だった。MLBでも投手の先頭打者本塁打は例のないことだった。クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは王手をかけた第5戦に「3番・指名打者」で出場し、最終回にDH解除でマウンドへ。NPB史上最速となる165キロをマークするなど自身初セーブで、日本シリーズ進出。広島を下して初の日本一を経験した。

2017年は故障もあり、投手として3勝、打者として8本塁打に留まる。オフにポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を表明。エンゼルスと契約合意となった。

エンゼルス時代

新人王獲得、トミー・ジョン手術

2018年、メジャー1年目はオープン戦で投打ともに振るわず、地元メディアの厳しい声も上がった。しかし、4月に3試合連続本塁打、初登板初勝利を挙げるなど開幕後は二刀流で活躍。投手としては右ひじ靭帯の損傷で、10月にトミー・ジョン手術を受けるなど4勝2敗、防御率3.31だった。打者としては打率.285、22本塁打、61打点、10盗塁。MLB史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成し、日本人ではイチロー以来となる新人王を獲得した。

野手に専念となった2019年は日本人初のサイクル安打を達成。9月に左ひざの手術を受けたが、打率.286、18本塁打、62打点の成績を残した。2020年は新型コロナウイルスの影響により開幕が7月にずれ込んだため、開幕から二刀流で出場。7月26日のアスレチックス戦で693日ぶりの復帰登板となったが、1死も取れずに3安打、3四球、5失点で降板し、敗戦投手となった。8月2日のアストロズ戦でも1回2/3を無安打5四球2失点。登板後にMRI検査を受け、「右屈曲回内筋群の損傷」と診断された。このシーズンは以降、投手としての登板はなく、打者としても44試合で、打率.190、7本塁打、24打点と低調に終わった。

二刀流伝説幕開け、MVP獲得、WBC優勝

2021年、大谷が日米の野球界に衝撃を与えるシーズンとなる。4月4日のホワイトソックス戦で、「2番・投手」でMLB初の投打同時出場。初回に先制の2号本塁打ち、投手としても球速163キロを計測した。降板後に外野守備に就く試合もあり、5月に13号本塁打を放った時点で両リーグ本塁打ランクトップに躍り出た。6月は特に打棒が爆発。25試合で打率.309、13本塁打、出塁率.423、長打率.889、OPS1.312と破壊力を見せて月間MVPを獲得した。オールスター(球宴)前日のホームランダービーに出場。球宴にも投打二刀流で出場した。7月も月間MVP。最後は打撃の調子が落ちたことに加え、相手から勝負を避けられることも増えたため本塁打王獲得とはならなかったが、打率.257、46本塁打、100打点、OPS.965、26盗塁。投手としても9勝2敗、防御率3.18、156奪三振をマークし、満票でのア・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。

2022年は1918年のベーブ・ルース(レッドソックス)以来史上2人目となる同一シーズン「2桁勝利&2桁本塁打」を達成。打撃では打率.273、34本塁打、95打点、11盗塁をマークし、投手としては15勝、防御率2.33、奪三振219と前年以上の数字を残した。しかし、MVP争いではア・リーグ新記録となる62本塁打を放ったアーロン・ジャッジ外野手に敗れた。

2023年、開幕前にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として出場。日本ハム時代の恩師である栗山英樹監督のもと、ダルビッシュ有、ラーズ・ヌートバーらとともにチームの柱としてプレーした。東京ドームの自身が起用された広告看板に直撃する特大ホームランを放つなど活躍。決勝のアメリカ戦では3番・DHとして出場していたが、9回にDH解除からマウンドへ。あと1人で世界一の場面でエンゼルスの同僚でスーパースターのマイク・トラウト外野手と対戦。最後は外角に鋭く、大きく変化するスイーパーで三振を奪い、日本の3大会ぶり3度目の世界一となった。